卒業生インタビュー Vol.1
桐朋女子で学んだ諦めない心 機長になる夢を実現できました
藤 明里さん Ari Fuji 42期卒業生
勤務先:日本航空株式会社
Profile
小学校から桐朋で過ごし、1986年に桐朋女子高等学校を卒業。パイロットをを志すが、身長が足りなかったために航空大学を受験できず。その後、立教大学法学部を卒業し渡米。操縦免許を取得。帰国後、日本のライセンスを一つひとつ取得し、株式会社JALエクスプレスに従者。11年間で5500時間あまりを飛行し、2010年に初めて旅客機の女性機長となり話題に。
個性を尊重する自由な校風が
私を育んでくれたと思います
個性やパワーを最大限に発揮できる自由な環境が、桐朋女子にはあります。
そして自由というものが、責任を伴うものであることも教えてくれます。
たくさんの達成感を得ることができます。
ぜひ、桐朋女子で精いっぱい学生生活を楽しみ、
自分のやりたいことにチャレンジしてください。
そして夢を描き、夢を叶えてください。
桐朋の自由な校風とパワフルな仲間たち
桐朋小学校に通う弟が毎日楽しそうで、小学4年生のときに公立の小学校から編入しました。一番嬉しかったのは、通知表がなかったこと(笑)。激しく怒る先生もいなくて、のびのびとした自由な環境の中で遊んだ記憶しかありません。中学校、高校も、その自由さは共通していました。「こうしなければダメ」と細かく指示をされることなく、こちらから相談をすると真剣に向き合ってくれる。そんな先生ばかりでした。一人の人間として尊重されていると感じられ、自立心が芽生えたように思います。
桐朋女子は、とにかく行事が盛んです。体育祭、音楽祭、文化祭、校外学習と、各行事を通して仲間と力を合わせて何かを成し遂げる達成感を学びました。特に印象に残っているのが登山です。苦しい思いをしてようやくたどり着いた頂上から見える景色がびっくりするほど美しく、ご褒美のように感じられました。「つらいことを乗り越えれば、いいことがある。」逃げたり諦めたりしてはいけない。私の大切な考え方の軸がつくられた気がします。
桐朋女子生を一言で表すならパワフル。明るく元気で、負けず嫌い。「友達がするから一緒にする」というようなことはなく、「私はこれがしたい」「こう思う」など自己主張がしっかりしていました。将来の夢も俳優、医者、記者など様々で、実際に夢をかなえた友達も多く、今でも刺激をもらっています。
苦しい試練の先にあった大きな喜び
初めて飛行機に乗ったときから窓から見る景色が好きで、気づいたらパイロットを目指していました。航空大学校を受験しようとしましたが、身長制限があって受験が認められず。でも気落ちしませんでした。「身長が原因でパイロットになれないなんて聞いたことがない、他の方法があるはず!」とすぐに気持ちを切り替えました。このプラス思考は、まさに桐朋マインドですね。
大学卒業後、アメリカで操縦免許を取得。帰国後、日本のライセンスを取得し、ジャルエクスプレスに入社しました。そして副操縦士として経験を積み、機長になるための訓練を受けました。一番つらかったのはこの時です。1年半の訓練期間がとても長く感じられて。でも、くじけそうになると登山のときのように「乗り越えれば、いいことがある」と自分に言い聞かせました。そして合格。すぐに、家族や友人に報告しました。母は私が大きく影響を受けた人です。「女性だからこうしなさい」というようなことは一度も言われたことがありません。私が決めたことに反対されたこともありません。桐朋女子の先生方と同じように、私の考えを尊重してくれました。
初フライトは伊丹空港から仙台空港間。女性初の機長ということで取材なども受けました。副操縦士の頃とはまた違った、自分の責任の大きさに身が引き締まるとともに、大きな喜びを感じました。
今も、日々勉強です。これからも自分のスキルを高めながら、後輩たちが機長になれるようにサポートしていきたいと思っています。