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卒業生 Vol.4

インタビュー04

桐朋女子には、周りと同じでなくていい、自分の道を進めばいいんだということを気付かせてくれる環境がありました。

園田 亜矢さん SONODA Aya 50期卒業生

勤務先:国境なき医師団

Profile

1989年4月 桐朋女子中学校2年に編入
1994年3月 桐朋女子高等学校卒業
1998年3月 慶応義塾大学法学部政治学科卒業
1999年12月 米国ブラウン大学大学院開発学専攻 修士号取得
2002年11月 UNICEF インドムンバイオフィス 勤務
2010年5月 米国タフツ大学フレッチャー校 法律外交学修士取得
2014年2月 国境なき医師団 勤務

一人ひとり自分の道を進む

 中学2年から編入したのですが、活発な生徒が多く、皆が堂々としていることに最初は驚きました。時が経つにつれ、おとなしく見えるけれども芯の通った子、目立たなくとも自分の道を突き進める子など、色々な生徒がいることが分かりました。私は編入生で、周りにどう馴染めばいいのかを見極めようとしていたのですが、桐朋女子には、周りと同じでなくていい、自分の道を進めばいいんだということを気付かせてくれる環境がありました。生徒一人一人が自分を大切にして、だからこそ、他者をも尊重する、その中で皆のびのびと個性をのばせる土壌がありました。
 桐朋女子のエネルギーは、生徒だけでなく、先生にもありました。生徒の自主性を尊重する寛大さをお持ちであるだけでなく、ご自分の好きなこと、専門を究め、それを堂々と披露してくださる先生がたくさんいました。60歳を過ぎても「結び」に関するご自身の研究を続けておられた数学の先生、漱石を熱く語る国語の先生、石にロマンを感じると断言する地学の先生。高校卒業後22年ぶりに同窓会に出席した際も、病を克服し80歳を過ぎて体を鍛え続ける体育の先生、退職後も地域のボランティアに励まれている英語の先生に大いに刺激を受けました。信念を持って学び、人として成長し続ける、という生江義男先生から受け継がれている桐朋女子の精神が生きていることを感じます。

挑戦し成長し続ける

 桐朋編入前に、父の仕事の関係で、タイ、中国に住み、日本の物質的豊かさを思い知りました。中高時代はちょうどバブル時代で、お金で全てを解決しながら、環境を破壊し、世界的貧富の格差を広げている国に住んでいることに罪悪感さえ持ちました。高校の頃から、国連で働くことを目標にし、大学での専攻は国際政治を選び、留学も視野に入れました。

インタビュー04-2

 比較的早い段階(20代後半)で目標だった国連の職業についたのですが、思い描いていたイメージとは異なり違和感を覚え、その職を辞して、紆余曲折を経て、30代後半でようやく自分の納得のいく職業に辿りつきました。今は国境なき医師団で世界各地のプロジェクトに駐在し、現地コミュニティの人々の声に耳を傾け、我々のメッセージを伝える仕事をしています。医師でなくとも医療活動をサポートできること、何より現地の人々と直接対話しながら、文化は違えど、達成感を一緒に味わえることが今のやりがいです。これまでにイラク、ナイジェリア、南スーダン、チャド、中央アフリカ共和国へ派遣されました。

インタビュー04-3

 ここに至るまで、30歳を過ぎてから2度目の留学をする、40歳を過ぎてから新しい言語での仕事に挑戦するなど、その時々で問題意識を持って、学び続けてきたつもりです。挑戦・成長し続けるという精神は、桐朋女子の友人、先生方から刺激を受け続けている精神です。

桐朋生へメッセージ

インタビュー04-5

 「他人と違って当たり前。自分の信じる道を行けばいいんだよ」-桐朋はそう私に教えてくれ、その気づきが私に自信を与えてくれました。卑屈になることはないし、堂々とすればよい。堂々とするために、信じる道を究める。究めるために、努力をする。桐朋は、「自分はこれが好きだ」というものを見つけられる機会をたくさん与えてくれる学校だと思います。日々、学校行事、部活、自分の関心事、勉学に真剣に取り組むことで、人生の方向性のヒントが見えてくると思います。私にとっては、玉入れや足歴、音楽祭のコーラスに精を出した日々、必要な時には一致団結する喜び(時には苦悩)を感じた経験が、その後の人生をたくましく、しなやかに生きる糧になっています。自信を持って、そして他者の尊重を忘れずに、貴女の道を切り拓いていってください。応援しています!

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