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校長コラム

六ずかしいとは?

※以下の文章は、年末に生徒・保護者向けに発行した桐だよりに載せた文章に、一部加筆したものです。

 先日、ある先生から内田百閒(ひゃっけん)の随筆集をお借りし読んでいたところ、タイトルに載せた言葉に遭遇しました。私は初めて目にする言葉で、「これは何?」と驚きました。読み方は「むずかしい」で、意味も「むずかしい」です。言われてみればそのように読めますが、なぜ「難しい」ではないのか、「六ずかしい」にはどんな謂れがあるのだろうと興味をそそられました。内田百閒は小説家・随筆家として著名な方で、夏目漱石の門下生です。実は、漱石が「六づかしい」(漱石は六ずかしいではなく六づかしいのようです)をよく使っていたそうで、その潮流を弟子の百閒も受け継いだようです。では漱石が使った「六づかしい」にはどんな由来があるのだろう?「六」と「難しい」の関係は何だろう?どんな謎が隠されているのだろうと思い調べてみたら、実は当て字のようです。つまり意味の由来はなく、音が近いのでこの字を当てた、ということのようです。このような当て字は、明治の文学にはよく見られるようで、漱石以外にも柳田國男や伊藤左千夫もいろいろな当て字を使っているそうです。各自が「こんな字を当てたぞ」と競っていたかどうかはわかりませんが、それぞれが独自の発想で表していたのでしょうね。当時は間違いではなく、表現方法の一つ、という認識だったようです。

 内田百閒の随筆には、この六ずかしい以外にも、「難有く」に「ありがたく」とふり仮名が振ってあるのにも驚きました。「有難く」ならば「ありがたく」と読めますが、逆さまとは・・・。同じ用例が漱石や泉鏡花に見られるようです。これは音から漢字を当てたのではなく、きちんとした由来があるのでしょう。そしてそれが「有難く」に逆転した経緯もありそうです。言葉が人が使うもの。時を経て少しずつ変化するものと頭では知っていたつもりでしたが、「六ずかしい」や「難有く」を目にして、驚きを隠せませんでした。

 明治時代、漢字テスト(があったかどうかもわかりませんが)で「むずかしい」を「六ずかしい(六づかしい)」と書いて正解になったのでしょうか。

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