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校長コラム

創立10周年記念誌

 桐朋学園は、今年の11月20日で創立81周年を迎えました。桐朋女子中高では、10年ごとの節目に記念誌を作成しています。昨年、コロナ禍ではありましたが、記録の意味を込めてこの10年をまとめた冊子、80周年記念誌を制作しました。

 過去の記念誌は校長室に揃っていますが、創立10周年記念誌だけはありません。創立10周年記念誌は1951年(昭和26年)に発行されました。実は学校で保管されている10周年記念誌は、3冊しかありません。いずれも書庫の中で大事に保管されています。1951年当時は、幼稚園や小学校、短大、音楽部門はまだ創設されておらず、仙川には女子中高しかありませんでした。当時の中高の生徒数は、合わせて1133名と記録されています。記念誌の発行部数は2000部とありますので、全校生徒や教職員に配付してもまだ予備があったのでしょうが、それから70年の間に大半が失われ、わずか3冊を残すのみとなりました。

創立10周年記念誌

 草創期の10年は、怒涛の10年だっただろうと思います。1941年4月、九段の仮校舎で産声を上げた桐朋女子の前身、山水高等女学校は、1942年11月に仙川に移転したものの、翌43年4月に火事に見舞われ校舎の半分以上を失ってしまいます。残った校舎で授業を続け、終戦後、学校がなくなる危機を迎えるものの、何とか東京文理科大学(のちの東京教育大学、筑波大学)のサポートを受けて学校を存続させることができました。学校名は、草創期の10年間で、山水高等女学校⇒桐朋第二中学校⇒桐朋女子中・高等学校と変わっています。10周年記念誌は、教職員でも見る機会はほとんどありませんが、怒涛の10年を経験した先人方の思いが感じられます。10周年記念誌に教員が書いた文章の一部を引用します。旧字体の漢字は、今のものに直しています。

 波乱を重ねた学園十年の歩み、それはまさにいばらの道でもあり、また次の時代に飛躍する地固めとしての大暴風雨であり大劫火(注:だいごうか。仏教の言葉で、人の住む世界を焼き尽くして灰にするという大火のこと)であったとも言えよう。われわれには、この余りにも辛かった過去を忘れ去り、再び同様な苦杯をなめるがごとき愚を繰り返してはならない。さればとて、わが学園には、創立この方いつとはなしに、他にその比を見出し得ないようないくつかのゆかしい長所を持っており、それがこの十年間に動かしがたい香気となってただよっていることは、絶大な誇りといってよいだろう。況や(注:いわんや)財団改組以来(注:戦前の山水財団が桐朋学園に改組されたことを指す)、最近二年間における内容充実は、真に目覚ましく、山水時代からの伝統的な長所と相まって、今後必ず美わしい(注:うるわしい)姿となって開花し結実してゆくことを信じて疑わない。(中略)桐朋よ!それは今ようやく少年期から青年期に入ったばかりだ。これからの十年こそ、その真価が世に問われる時期であることを覚悟しなければならない。

 これからも、先人が築いてきたものを大切にしながら、一方で大きく変えていくことも恐れずに、未来を生きる子どもたちを育てていきたいと思います。

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