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ゴジラ 第一作(1954(昭和29)年)と桐朋女子―「平和への祈り」をめぐってー補遺(1)

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2024年1月6日投稿、同タイトル(2)以後の補遺編です。

 3月11日、東日本大震災(津波被害と福島の原発事故)から13年目の日の朝、山崎貴監督『ゴジラ―1.0』が米アカデミー賞視覚効果賞を受賞との朗報が届きました。日本の市民が決して忘れてならない日の受賞、初代『ゴジラ』の円谷特撮チームに相当するVFX担当の白組スタジオが桐朋女子と同じ調布市内にあること、先にご紹介した70年前のゴジラと桐朋女子の不思議なご縁などを併せて、その後判明した新情報を「補遺」として、2回に分けてご紹介いたします。

歴史の偶然と必然:第五福竜丸の犠牲と洞爺丸事故の狭間で

以前抜粋で紹介した撮影当日にまつわる学校新聞の記事全文です。

校内トピックス・ゴジラ撮影行わる:去る九月二十四日、午後1時から本校講堂に於て、全高等部生徒出演によって、東宝映画『ゴジラ』の撮影が行われた。これはゴジラをして水爆の恐ろしさを広く知らせる風刺映画であるとの解説の後、撮影にかかった。本校生徒出演は人々の永遠の平和への願いを女学生が“平和の歌”にたくして合唱する部分であり、又初めてのことであるので、むれるような暑さの講堂は、終始緊張した空気でみちていた。四カットの撮影は約二時間で成功に終わった模様。終了後、各体育班に記念品として、優勝槍が贈られた。なお近いうちに本校で、東宝映画写会が開かれる予定である。

昭和29年10月13日「山みず」第34号(3面)

 当ロケ撮影の前日にあたる9月23日18時過ぎ、ビキニ環礁の水爆実験で被ばくした第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが再生不良性貧血の治療過程で生じた危篤症状の末、亡くなりました。1945年の広島・長崎の原爆被害はGHQ統治下の「不都合な真実」であり、必ずしも多くの情報が開示されていませんでしたが、1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、その惨状がようやく日本全体に共有されるようになっていました。そうした中で、8月末から容体が悪化していた久保山さんの病状は新聞やラジオを通じて日々報じられる国民的関心事となっていました。久保山愛吉さんの死は、原爆のみならず水爆でも日本人が犠牲となった、という意味で衝撃的なものでした。その日は「秋分の日」のために翌朝の新聞は休刊日でしたが、号外で大きく報じられました。テレビ放送がほとんど普及していない中、当時の多くの人たちはラジオを通じて、このニュースを承知していたはずです(※)。映画の合唱シーンに記録された本校生徒たちの、思いつめたような表情の背景に、こうした出来事があったことは特筆しておきたい事実です。若い感受性がとらえた心の内実を具体的に再現することはできません。しかし、この悲劇の前後にご遺族の久保山家には全国から3000通以上の中高生をはじめとする見舞や追悼の手紙が届いたといいます。それらは現在、江東区夢の島にある都立第五福竜丸展示館に寄贈されて整理・保存されており(*)、「感情の歴史学」の視点からの「記憶の解凍」を待っています。映画中の犠牲者やゴジラの死を悼む「平和への祈り」は、久保山愛吉さんの悲劇的な死へのレクイエムのように重ねて聞こえてなりません。

 もう一点、彼岸過ぎにも関わらず「むれるような暑さの講堂」で「終始緊張した空気でみちて」撮影されたとあり、この日の東京の最高気温が29.5度であったことは先般ご紹介しました。この蒸し暑さの要因は、日本列島を縦に北上中の台風15号によるものでした。この強風と早いスピードを特徴とする台風は、26日に青函連絡船「洞爺丸」沈没(1155名が死亡、日本の海難事故史上最大、世界でも1912年のタイタニック号沈没に次ぐ海難事故)など甚大な被害をもたらした自然災害として、歴史に名を残しています。偶然とはいえ、これもまた歴史の奇縁を覚えずにいられないエピソードです。歴史の偶然と必然を考えさせられます。

 マンハッタン計画始動(日米開戦の翌1942年、オッペンハイマーらが従事)を起点として、核と人類の関係をタイムライン化するならば、数々の節目が現時点まで認められます。広島・長崎の原爆投下、水爆実験に伴うビキニ事件と第五福竜丸被ばく、核軍拡とキューバ危機、NPTとその破綻など核兵器にまつわるものもあれば、「平和利用」に伴う諸問題、スリーマイル島・チョルノービリ・福島の原発事故災害や核廃棄物処理問題などもあります。2024年は「世界終末時計」が1947年以来史上最短の90秒前を指していると報道にありました。ビキニ事件70年目の節目の早春、『オッペンハイマー』と共に『ゴジラ-1.0』が国際的な映画賞で話題となることの意味とは何か、これからの地球を私たちは「どう生きるか」を、1954年初代『ゴジラ』の「平和への祈り」が問いかけているようです。

注:(※)(*)は第五福竜丸展示館学芸員の市田真理様からご教示頂いたものです。

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