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桐朋女子ピックアップ一覧

写真部春季校外合宿 日光へ

  • 部活動

写真部は春休みを利用して2泊3日で日光へ校外合宿に出ました。
標高約600mの東照宮界隈は、小春日和の温かい陽気の中で撮影をしました。
2日目の撮影地である標高約1,300mの中禅寺湖や約1,400mの戦場ヶ原では残雪が残り、3日目の標高1,500mの湯ノ湖では降雪の凍えるような厳しい条件の中で一生懸命撮影をしました。
自身のセンスを磨き、シャッタースピードや絞り、露出、カラーバランスを意図的に変えるなど、表現方法を学びます。宿に戻って夜のミーティングで各自が3作品ずつ提出し、それをモニターで見ながら講評会を行い、先輩後輩とも忌憚のない意見を出しあい、次への技量アップを図りました。

ギター部春合宿

  • 部活動

ギター部は、3月23日から25日まで山中湖で春合宿を行いました。
プロのギタリストとして活躍しているコーチの指導のもとで一人ひとりが着実に技術を高め、合奏のレベルを向上させる充実した時間を過ごすことができました。2日目の夜には部内での発表会も行い、互いに練習成果を披露し合いました。この合宿で得たものを、4月以降の発表の機会に活かしていきたいと思います。

津田塾大学と高大連携協定を締結しました

  • 全校

3月13日(水)、津田塾大学において、桐朋女子中・高等学校は津田塾大学(学長:髙橋裕子/東京都小平市)と高大連携に関する協定を締結しました。本協定に基づき、両校はお互いが求める学生像および教育内容への理解を深め、両校の発展を図ってまいります。

締結式には、津田塾大学より髙橋学長、小舘副学長、早川副学長、斉藤事務局長、五十嵐経営企画課長そして同課伊藤さんが出席され、桐朋女子からは校長と進路指導部主任が出席しました。締結式では、協定書への署名、写真撮影の後、和やかな雰囲気の中で意見交換等を行い、最後に学校内をご案内いただきました。緑が多い落ち着いたキャンパスで、キャンパスの最深部には創立者の津田梅子先生のお墓もあり、お参りしてきました。

今後、両校でできることを模索し、進めていければと考えています。

これにより、先に協定を結んでいた東京女子大学、日本女子大学、国立電気通信大学を含め、4大学と連携協定を結んだことになります。

ゴジラ 第一作(1954(昭和29)年)と桐朋女子―「平和への祈り」をめぐってー補遺(2)

  • 全校

2024年3月12日投稿、同タイトル補遺(1)以後の続きです。

 
 年末年始の記事をご覧いただいた方々から幾つか反応を頂いています。本校の先輩教員である村田洋先生(元中高社会科教諭)からも情報提供を頂きました。この機に最新のUHD Blu-ray『ゴジラ』(初代)をご覧いただいてのご指摘ですが、シネフィルにして大講堂を知る先生ならではの知見が含まれます。補遺にふさわしい情報なので、村田先生のご了解のもと、以下に紹介します。


 「平和への祈り」のシーンを解読する


①『ゴジラ』に「桐朋のクレジット」は出てきません。キャストやスタッフや協力者を網羅する現在のエンドクレジットの時代ではなかったということでしょう。
②大講堂のコーラスは、歌い始めではカメラを演壇上の下手に据えて、講堂内の一・二階の生徒の全景をとらえています。歌の途中で、一階下手側の床に降りているカメラが前から奥方向に移動撮影し、また演壇上のカットに戻ります。
③一階の生徒は一列20人で16列(画面の外に3列ほどはありそうなので、19列)、二階席は横45人程の列が4列並んでいます。これで合計560人ほどになります。

 
 補足します。ご指摘にある同定人数ですが、卒業生名簿から推定される当時の在籍者数から当日の教務日誌に記録されている欠席者数を引いた人数とほぼ一致しています。これにより、560人から570人強という人数の合唱場面、と確定できます。巷に流れる様々な数字上の誤りをここで最終的に正しておきます。


④特典に「スタッフのインタビュー」があり、2000年11月の録画です。円谷英二(特技監督)、田中友幸(製作)、本田猪四郎(監督)、三縄一郎(録音)各氏がそれぞれのお仕事について語っていますが、伊福部氏は、合唱場面に関わることでは、概略次のように語っています。


a)桐朋音楽大学がやってくれるとなって、100名くらい使ってやりました。(注:→誤り)
b)お礼に鉛筆一本ということだったんじゃないかな。(注:→真偽不明)
c)たくさんで歌わないと悲劇の大きさがね、悲しいだけでは困ってしまうので、死んでもやってゆくという情感がないと困るので—。
d)学生全部使っていい、ということでそこ(学校)まで行ったのを覚えている。
e)(学生は)譜が読める人たちですから、すぐできました。(注:→誤り)

 
 1914年生まれの作曲家は、インタビュー時は85歳の高齢で、加えて46年前の桐朋ロケの懐古なので勘違いも避けられません。この人は東京音楽大学長を務めた方ですから、「桐朋」と聞けば、「桐朋音大」と反射的に想起するのは当然かと思います。「(学生なので)譜が読めますから、すぐできました」とは思えません。普通科の生徒があらかじめ楽譜が渡されていて練習を終えていたのではないかと想像します。当時の桐朋生なら一時間ほどでできたでしょうし、とりわけ難しいことではなかったでしょう。昔の桐朋生はともかく合唱が好きだったようです。私はこのロケから15年後に桐朋にきたわけですが、初めて東北旅行を引率した時は、バス移動中はコーラスの場でもありました。旅行委員の他に、歌集委員がおり、歌集作りは大切な分担になっていました。今も同じでしょうか。

 
 以下、補足します。当時の教務日誌を精査したところ、撮影に先立つ9月10日「第5限、高等科全生徒「平和の歌」を練習、講堂にて」とあり、事前の練習があったことが判明しました。昭和29年度の夏休み明け初日は9月6日でした。10月からは修学旅行、小旅行(遠足)、体育祭、文化祭といった行事が目白押しで、さぞや準備がたいへんだったかと推察されます。改めて、どのような形でロケ協力が実現したのか、知りたいところです。
 桐朋女子高等学校音楽科の開校は昭和27(1952)年、第一期生の故 小澤征爾氏(音楽部門同窓会名誉会長、2月6日にご逝去)は当時、高校3年生でした。伊福部昭が桐朋に足を運んだのも開学したばかりの音楽科高校への関心があったからかもしれません。

 
 ゴジラの襲撃による多くの負傷者が街中の地面に横たえられ治療を受けているシーンが続きますが、これは広島・長崎の原爆情景のティピカルなオマージュと私は受け取りました。原爆写真のほとんどはモノクロで、かつ「地面に横たわる」死者や負傷者が多数映っていますから、観客の少なからぬ人々が、まだ10年も経っていない原爆風景を思い出すのは当然です。

 
 「平和への祈り」の合唱場面が、上記シーンと重なって展開することの映画史的な意義を改めてかみしめたいと思います。「戦争がなくならない限り、ゴジラは死なない」。山崎貴監督があるインタビューで語っていた言葉です。70年の時を超えた「平和への祈り」について、いつまでも語り継いでゆくことは、桐朋女子に身を置く者の大切な仕事です。

中学1年・2年 特別時間割合同企画

  • 中1
  • 中2

津軽三味線&和太鼓ユニット「ごちえもん」のみなさんによる演奏会

3月13日(水) 日本の伝統楽器である「三味線」と「和太鼓」のジョイントライブ。中学1年生と2年生の2学年で、迫力のある音と懐かしい響きを堪能し、充実したひとときを過ごしました。

中学1年 特別時間割の企画

  • 中1

演劇集団「風」の「バリアフリーアクティビティ」

3月12日(火) 東京演劇集団「風」の俳優、西垣耕造さんを講師にお迎えし、「コミュニケーション・ワークショップ」を体験しました。「互いの存在を認め、受け止める」「互いの存在を支え、存在させること」を意識しながら、体を動かしました。「行動(action)と反応(reaction)が共に共鳴し合って循環することで、面白い集団になっていく」など、講師の先生の説明にうなずきながら、これまで意識していなかった視点で生活を見つめることができたようです。

ゴジラ 第一作(1954(昭和29)年)と桐朋女子―「平和への祈り」をめぐってー補遺(1)

  • 全校

2024年1月6日投稿、同タイトル(2)以後の補遺編です。

 3月11日、東日本大震災(津波被害と福島の原発事故)から13年目の日の朝、山崎貴監督『ゴジラ―1.0』が米アカデミー賞視覚効果賞を受賞との朗報が届きました。日本の市民が決して忘れてならない日の受賞、初代『ゴジラ』の円谷特撮チームに相当するVFX担当の白組スタジオが桐朋女子と同じ調布市内にあること、先にご紹介した70年前のゴジラと桐朋女子の不思議なご縁などを併せて、その後判明した新情報を「補遺」として、2回に分けてご紹介いたします。

歴史の偶然と必然:第五福竜丸の犠牲と洞爺丸事故の狭間で

以前抜粋で紹介した撮影当日にまつわる学校新聞の記事全文です。

校内トピックス・ゴジラ撮影行わる:去る九月二十四日、午後1時から本校講堂に於て、全高等部生徒出演によって、東宝映画『ゴジラ』の撮影が行われた。これはゴジラをして水爆の恐ろしさを広く知らせる風刺映画であるとの解説の後、撮影にかかった。本校生徒出演は人々の永遠の平和への願いを女学生が“平和の歌”にたくして合唱する部分であり、又初めてのことであるので、むれるような暑さの講堂は、終始緊張した空気でみちていた。四カットの撮影は約二時間で成功に終わった模様。終了後、各体育班に記念品として、優勝槍が贈られた。なお近いうちに本校で、東宝映画写会が開かれる予定である。

昭和29年10月13日「山みず」第34号(3面)

 当ロケ撮影の前日にあたる9月23日18時過ぎ、ビキニ環礁の水爆実験で被ばくした第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが再生不良性貧血の治療過程で生じた危篤症状の末、亡くなりました。1945年の広島・長崎の原爆被害はGHQ統治下の「不都合な真実」であり、必ずしも多くの情報が開示されていませんでしたが、1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、その惨状がようやく日本全体に共有されるようになっていました。そうした中で、8月末から容体が悪化していた久保山さんの病状は新聞やラジオを通じて日々報じられる国民的関心事となっていました。久保山愛吉さんの死は、原爆のみならず水爆でも日本人が犠牲となった、という意味で衝撃的なものでした。その日は「秋分の日」のために翌朝の新聞は休刊日でしたが、号外で大きく報じられました。テレビ放送がほとんど普及していない中、当時の多くの人たちはラジオを通じて、このニュースを承知していたはずです(※)。映画の合唱シーンに記録された本校生徒たちの、思いつめたような表情の背景に、こうした出来事があったことは特筆しておきたい事実です。若い感受性がとらえた心の内実を具体的に再現することはできません。しかし、この悲劇の前後にご遺族の久保山家には全国から3000通以上の中高生をはじめとする見舞や追悼の手紙が届いたといいます。それらは現在、江東区夢の島にある都立第五福竜丸展示館に寄贈されて整理・保存されており(*)、「感情の歴史学」の視点からの「記憶の解凍」を待っています。映画中の犠牲者やゴジラの死を悼む「平和への祈り」は、久保山愛吉さんの悲劇的な死へのレクイエムのように重ねて聞こえてなりません。

 もう一点、彼岸過ぎにも関わらず「むれるような暑さの講堂」で「終始緊張した空気でみちて」撮影されたとあり、この日の東京の最高気温が29.5度であったことは先般ご紹介しました。この蒸し暑さの要因は、日本列島を縦に北上中の台風15号によるものでした。この強風と早いスピードを特徴とする台風は、26日に青函連絡船「洞爺丸」沈没(1155名が死亡、日本の海難事故史上最大、世界でも1912年のタイタニック号沈没に次ぐ海難事故)など甚大な被害をもたらした自然災害として、歴史に名を残しています。偶然とはいえ、これもまた歴史の奇縁を覚えずにいられないエピソードです。歴史の偶然と必然を考えさせられます。

 マンハッタン計画始動(日米開戦の翌1942年、オッペンハイマーらが従事)を起点として、核と人類の関係をタイムライン化するならば、数々の節目が現時点まで認められます。広島・長崎の原爆投下、水爆実験に伴うビキニ事件と第五福竜丸被ばく、核軍拡とキューバ危機、NPTとその破綻など核兵器にまつわるものもあれば、「平和利用」に伴う諸問題、スリーマイル島・チョルノービリ・福島の原発事故災害や核廃棄物処理問題などもあります。2024年は「世界終末時計」が1947年以来史上最短の90秒前を指していると報道にありました。ビキニ事件70年目の節目の早春、『オッペンハイマー』と共に『ゴジラ-1.0』が国際的な映画賞で話題となることの意味とは何か、これからの地球を私たちは「どう生きるか」を、1954年初代『ゴジラ』の「平和への祈り」が問いかけているようです。

注:(※)(*)は第五福竜丸展示館学芸員の市田真理様からご教示頂いたものです。

高校2年黄色 探究論文発表会

  • 高2

今年度高校2年生の「総合的な探究の時間」では、探究学習の集大成として論文を作成しました。昨年度のTプロジェクトやそれまでの教科学習で培った課題発見能力、情報収集力、考察力などを活かして、各自の興味関心に基づくテーマで書き上げました。限られた時間ではありましたが、力作、大作、はたまた個性的な作品まで多様な論文が集まりました。生徒たちはこれらをお互いに読み合い、評価し合いました。以下にテーマの一例を紹介します。

・保育士の「連絡帳書き」の業務をICT化することはできるのか?
・東京都町田市から始める食農教育の推進と農業の今後の可能性について
・上げ馬神事を安全に行うには?
・河童はいるのか?
・高校野球に見るZ世代の部活動
・宝塚歌劇再演作品における演出の変更は時代の変化をどのように表しているか?

将来の進路に関連するもの、趣味が高じたもの、はじまりは違ってもどれも手にとって読んでみたくなるものばかりでした。生徒たちも同じ黄色の仲間たちの論文に多くを学び、刺激を受けたことと思います。

中1紫 本のPOPコンテストに入賞しました。

  • 中1

◇夏のポップコンテスト㊗入賞おめでとう!◇
( https://www.poplar.co.jp/schoolLibrary/pop-contest/results2023/ より引用。)
2023夏の国語課題として本のPOPを作成し、「POPコンテスト(ポプラ社主催)」に応募しました。そこで紫の仲間の作品が、【本の魅力が伝わるPOP賞】に輝きました!おめでとうございます!

書名:『地球人記 Life on earth』
小松義夫/著 出版社:福音館書店 発行年:2001

『中1紫ビブリオバトル大会~この一冊をあなたに~』が開催されました。

  • 中1

3月8日(金) 自分の好きな本についてその世界を語り、他者に伝える力をつけるということを目標に、学年全員が準備してビブリオバトル大会に臨みました。大会に先立ち、まず自分のアピールする本を決め、冬休みに〈ビブリオバトル準備シート〉を作成、自分のおススメの本についてその魅力を書き出し、それをもとに、スピーチ原稿を完成させました。2月テストZone終了後、クラス内で予選会を実施、各クラス代表2名が選ばれ、3月8日の特別時間割に代表者10人による本選となりました。それぞれが自分の選んだ本の魅力を存分に語り、聞き手を魅了していました。後日“チャンプ本”が発表になります。楽しみですね。
終了後に書かれた紫のみなさんのコメントを抜粋して、紹介します。みなさん、読みたい気持ちがあふれたようです。来年もがんばりましょう!

「全部読んでみたくなった。」「みんな発表の仕方が違っていて、とても面白かったです。みんなが紹介した本、全部読みたくなりました。」「来年は自分も力をつけて本選に行けるようになりたい。」「来年はもっと色々なジャンルの本を読んで違うジャンルで挑みたい。」「みんなそれぞれすてきなプレゼンで感動。もっともっと聞きたいなと思いました。来年もでたい!」「全員のビブリオバトルを聞いて、同じ学年とは思えない人が沢山いてすごいと思った。来年に向けて今日のことを参考にしていきたい。」「代表者のみんなは、やっぱり声が大きくてききとりやすい。」「先生からの質問に対する答えがかっこよすぎて、その本が読みたくなった。」「みんな本の良さをまとめるのが上手で、全部面白そうだったし読んでみたいと思った。」「今日のみんなの発表をきいて私ももっとがんばらなきゃと思った。」

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